ダブルオカリナのチャレンジを断念 原点回帰へ [海外&その他オカリナ]
3ヶ月ほど前から「ダブルオカリナ」をかなり本気で
練習してきたのですが...
色んな思いの中でチャレンジを断念しました。
ダブルオカリナで演奏すればするほど僕がオカリナに
求めている「根源的なスピリット」から遠ざかっていく
ように思えたからです。
複数管オカリナは音域が広く、特に高音部は掠れること
なく、そして移調も気にせず吹くことができます。
必然的に単管オカリナではアプローチできない弦楽曲や
管楽曲、Pops、Jazz等にチャレンジすることに...。
バイオリンやサックス、フルートの楽曲をオカリナに置き
換えて演奏していくことになるわけです。(僕は...。)
全てが確立された管楽器に対抗するべく、広い音域の早い
パッセージ(運指)を正確にこなすことで頭がいっぱい
テクニック主義に走ろうとする自分が見えてしまいました。
オカリナという不完全な楽器が「複数管」によって完成された
管楽器と渡り合うこと=オカリナの可能性、表現力の拡がり
だと...僕には考えられません。
(複数管奏者を否定してるわけではありません。)
フルートの曲はフルートで表現すれば良いし、弦楽曲は
弦楽器で表現すれば良いと
オカリナにはオカリナでしか表現できない世界があるし、
プリミティブなままでいい。
オカリナの進化、表現力の拡がりは楽器にあるのではなく
演奏者本人にあるのだと僕は思いました。
自分で音色も、音程も決める。 体調や天候によっても音程が
変化してしまう。
そんな不完全で危うい...まるで人間を映しだしているかの
ような楽器です。
人間はいずれ土に還っていく...。
その「土」でできている楽器だからこそ、オカリナを通して
シンプルに魂を発していきたいと思いました。
練習してきたのですが...
色んな思いの中でチャレンジを断念しました。
ダブルオカリナで演奏すればするほど僕がオカリナに
求めている「根源的なスピリット」から遠ざかっていく
ように思えたからです。
複数管オカリナは音域が広く、特に高音部は掠れること
なく、そして移調も気にせず吹くことができます。
必然的に単管オカリナではアプローチできない弦楽曲や
管楽曲、Pops、Jazz等にチャレンジすることに...。
バイオリンやサックス、フルートの楽曲をオカリナに置き
換えて演奏していくことになるわけです。(僕は...。)
全てが確立された管楽器に対抗するべく、広い音域の早い
パッセージ(運指)を正確にこなすことで頭がいっぱい
テクニック主義に走ろうとする自分が見えてしまいました。
オカリナという不完全な楽器が「複数管」によって完成された
管楽器と渡り合うこと=オカリナの可能性、表現力の拡がり
だと...僕には考えられません。
(複数管奏者を否定してるわけではありません。)
フルートの曲はフルートで表現すれば良いし、弦楽曲は
弦楽器で表現すれば良いと
オカリナにはオカリナでしか表現できない世界があるし、
プリミティブなままでいい。
オカリナの進化、表現力の拡がりは楽器にあるのではなく
演奏者本人にあるのだと僕は思いました。
自分で音色も、音程も決める。 体調や天候によっても音程が
変化してしまう。
そんな不完全で危うい...まるで人間を映しだしているかの
ような楽器です。
人間はいずれ土に還っていく...。
その「土」でできている楽器だからこそ、オカリナを通して
シンプルに魂を発していきたいと思いました。
2011-05-24 00:00
コメント(1)
100回うなづきました。
特に、
「オカリナの進化、表現力の拡がりは楽器にあるのではなく
演奏者本人にあるのだと僕は思いました。」
の所。
最近の複数管は、もっと進化しているのかもしれませんが、それでも得るものと失うもの、両方があるのは否めません。
みるとさんが、以前は複数管奏者だったのが、最近は基本、シングル管、というのも興味津々です。
by Suimin (2021-02-11 12:20)